2018/05/30

テーマ:介護職員 虐待

介護職員が起こしてしまう虐待問題の解決策

介護の仕事を語るうえで、非常にナイーブでありながらも、絶対に避けることのできない問題がある。それが介護施設職員の高齢者虐待問題である。この問題(事件)が起きてマスコミが騒ぎ出すと、(問題が起きてしまった以上、仕方がないことではあるが)どうしても世間の耳目は介護の仕事の大変な部分にだけ集まり易い。問題(事件)が起きる度に、仕事そのものに対するイメージが悪くなって行く傾向にある。介護福祉士養成校が軒並み定員割れを起こしていることや、福祉系大学の卒業生でさえ進路先として介護福祉施設を選ばなくなって来ている現実は、それらの証左と言えるであろう(もちろんそれだけが理由ではないはずだが)。その流れを断ち切ろうと、発信力のある介護職は、あくまで虐待を起こす介護職はあくまで一部であることを強調する。介護業界がそれだけ人材難である(介護の仕事に向かない人間も採用せざるを得ないほど、業界としての採用ハードルが低い)ことを嘆き、その分、専門職としての教育の重要さを強く説く。介護業界を取り仕切る厚生労働省はと言えば、虐待のあった介護施設のある市町村からの報告(任意・自由記載)を定期的に集計することで、「教育・知識・介護技術等に関する問題」が最大の発生要因(66.9%=289件/回答総数432件:平成28年度高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律に基づく対応状況等に関する調査結果)であることを明らかにする。他に「職員のストレスや感情コントロールの問題(24.1%)」、「倫理観や理念の欠如(12.5%)」、「職員の性格や資質の問題(12.0%)」と続く。それらを再びマスコミが取り上げて、介護の仕事のイメージが、、、、と悪いスパイラルが永遠と続く訳だが、いずれにしても、介護業界全体として、介護施設職員が起こしてしまう虐待問題は、一部の問題職員(資質のない職員は入り口の段階で可能な限り排除すべき)や教育の不十分さ(ストレスコントロールを含めた専門性を高める教育こそ重要:特に認知症ケア)に原因があると受け止めているようである。一部の問題社員は別にして(事件と呼べるようなものは業種を問わない社会問題である)、果たして専門性を高める教育に徹底的に力を注げば、この悪いスパイラルから本当に抜け出すことが出来るのであろうか。私はそうは思わない。もちろん、身体拘束など、世間が常識と思う範囲内のことは少しずつでも改善されて行くであろうが、この問題の本質的な解決にまでは至らないと考えている。

 

「虐待に関わった介護職の3割近くは介護福祉士という不都合な真実」

同じ厚生労働省の調査結果によれば、虐待に関わってしまった介護職うち、3割近くは介護福祉士資格を持っていたらしい(28.9%=121人/総数419人)。介護の専門家や教育関係者はこの現実をどう受け止めているのか。公表されている内容を見る限り(私が確認できる範囲にはなるが)、介護施設職員が起こす虐待問題は、やはり専門教育の足りなさや、それらの浸透を妨げている無資格者や未経験者の存在(採用ハードルの低さ)に原因があるとした受け止め方が大半のようである(少々苦しい気もするが、虐待に関わった介護職の7割以上が介護福祉士資格を持っていなかったことの方に重きを置いているような論調も)。介護業界は専門性の確立を喫緊の課題としている為、既に専門性を確立している医療や看護業界、もしくは業界としての今ある成功事例から学ぼうとする意識が強い。それらは、普通に考えれば当然の流れであるし、専門職である以上、問題が起きれば全て専門教育に原因があるとする考え方は全く間違っていない(恐らくは外部からの理解も得られ易い)。しかしながら、現実は現実である。虐待に関わった介護職の3割近くが介護福祉士であった以上、やはり一部の問題職員や専門教育の足りなさに原因があるとするだけでは、介護職員の虐待問題が解決に向かわないことを介護業界全体として受け止め始める時期に来ているのではないだろうか。いや、もっとシビアな捉え方をするなら、この問題に真正面から対峙するには、今の介護現場のマネジメント層の観点(すなわち今まで介護職が受けて来た専門教育)には、大事な何かが抜け落ちていると言ってもいいのかも知れない。介護現場においては、職務遂行上、常に具体的な答え(専門知識や介護技術)を求められるからこそ、抽象的思考や俯瞰的視点が奪われ易い。B=f(P,E),は、社会心理学の父と呼ばれるクルト・レヴィンの場の理論の公式であるが、これに介護職員の虐待問題を当て嵌めてみると、もう少しこの問題を大局的に捉えることが出来るはずである。B=Behavior ”行動”、f=function ”関数”、P=Personality ”人間性、倫理観、性格”、E=Environment ”周囲の状況、人間関係、組織風土”。介護職が起こしてしまう虐待(B)も、介護職(P)と人間関係を含めた職場環境(E)との相互作用の結果に過ぎないと捉えた方が、恐らくはこの問題の真因に近付き易い。要は介護職の一人ひとり(P)に原因を求めているだけでは、この問題は解決に向かわない。

 

「人手に不足感のある介護施設では、介護職の誰しもが虐待の当事者になり得る」

ここで伝えたいのは、制度上において人員基準を満たしているかどうかといった話ではなく、実際に現場で働く介護職員たちが人手に不足感を感じているかどうかである(同じ施設の介護職員であったとしても、経験による違いはもちろんのこと、勤務するフロアやシフトの時間帯によっても感じ方は全く異なる)。介護施設で働く介護職は、複数の利用者に対し、常に利用者本意の介護サービスを心掛け(≒受動的:ある意味、利用者に振り回されることを良しとし)ながらも、業務時間内に可能な限りしかも平等にサービスを提供して次のシフトに引き継ぐ(≒能動的:自分に与えられた仕事はうまくコントロールして必ず遂行する)という素人目に見てもなかなか厳しいジレンマな状況に置かれている。そのような状況においては、”受動”と”能動”のうまいバランスを取れる(受動的でありながらも能動的、もしくは能動的でありながらも受動的な)介護職が評価される訳だが、人手に不足感のある職場は、どうしても能動的な考え方(≒コントロール欲)が強まる傾向にある。特に人員体制が薄くなる夜勤帯の勤務などは、何人かの利用者をコントロールしてでも全利用者に対して時間内にサービスを提供しなければならないというプレッシャーに駆られ易い(思うように介助できない認知症高齢者に対しては時に感情が爆発してしまうことも)。衣服の着脱が乱暴である。汚れたシーツをすぐに替えない。(頻繁に鳴る)呼び出しコールを無視する。全ての介助のテンポが速い(介護職本位)。本来、どれも虐待に種別されてしまう行為であるが、人手に不足感のある介護施設はどこもグレーゾーンと呼べるような(≒不適切なケア:虐待の芽と呼ぶ人もいる)範囲内、もしくはギリギリその一歩手前で何とか業務を回しているのが実態である。これらは、人手を増やせば必ずしも解決に向かう問題でもない。人手をいくらか増やしたところで、一人の介護職が複数の利用者に介護サービスを提供する環境に変わりはない。介護施設における人手の不足感は、同僚との連携や周りからの支援があってはじめて和らいで行くものである。こうした背景を理解しようとせず、管理職が頭ごなしに不適切なケアについて言及したとしても(もしくは専門家の方々がもっと専門性を身に付けろと指導したとしても)、恐らく事態は改善に向かわない。昼夜を問わず人手と時間に制約のある環境下においては、まずは業界として介護職の誰しもが虐待の当事者になり得る(だからこそ介護職同士支援し合うことが大事である)ことを徹底的に教育すべきではないだろうか。他の専門職に例えるなら、いくら他を圧倒するくらい運転技術力のあるドライバーであったとしても、無理な環境下で働けば(助手席に誰もいない状態で長時間、高速度で運転し続ければ)事故を起こしてしまうのと似た理屈である。実は、虐待の発生要因の第5位になってはじめて「人員不足や人員配置の問題及び関連する多忙さ」(8.8%=38件/432件:同調査結果)が上がって来るのだが、数の少なさからしてここに焦点が行くことはあまりない。どこの介護施設も似たような人員体制である(人員に不足感があったとしても人員基準を満たしている)以上、それらを理由にした虐待などあり得ない(厚生労働省や自治体に対してそのような報告は介護サービス事業者として怠慢に映る)といった(今流行りの)忖度に似た思いがこの数字の背景にあろうことは想像に難くない。

 

「介護職員が起こす虐待問題は、適応を要する課題」

”技術的問題 (technical problem)”と”適応課題 (adaptive challenge)”という考え方を提唱したハーバード・ケネディスクールのロバート・ハイフェッツ教授は、その著書「最難関のリーダーシップ」で次のように述べている。「彼ら(大統領をはじめとした学校の卒業生)との素晴らしい経験を通じて私が信じていることは、あふれるほどの時間、技術、経験を投じても、なお私たちが解決できずにいる問題のほとんどは、”技術的問題”ではなく”適応課題”だということ。そして、私がこれまでのキャリアを通じて見て来た彼らの失敗の最大の原因は、向き合っている問題が”適応課題”であるにもかかわらず、それを”技術的問題”として扱ってしまうことだ」。解説を加えると、ほとんどの問題はどちらかに分類できるが、割合は問題によって様々である(100%技術的な問題もあれば、30%が技術的な問題で70%は適応を要する課題であることも)。”技術的問題”とは、解決方法が明確であり、技術を持つ専門家に任せれば大よそ解決できる問題である。身近な例を上げれば、車や水道の修理がそれに当たり、最大の特徴は、他の似た解決策が、そのまま適用できる点にある。”適応課題”とは、技術や経験、専門性だけでは解決することが難しく、当の本人が変化に適応して行かなければ解決に向かわない課題である。例を上げれば、夫婦関係や子育て、扱いの難しい部下のマネジメント業務などがある(育児書やビジネス書など教科書通りにやればうまく行くものではない)。最大の特徴は、当事者間で対話を重ねながら時に自分の価値観を疑い(今までの自分の考え方や捉え方を変えてみたり)、試行錯誤を繰り返すことで時に自分の(仕事の)やり方を変えてみる(一部を手放してみる)ことでしか解決に至らない点にある。そのため、時間も掛かるし、成果も決まったものにはなり難い。この課題解決が容易でない理由は、他(の人)の解決方法がうまく当て嵌まらないことが多いだけでなく、そもそも当の本人やその関係者が問題(が起きるシステム)の一部になっていることをなかなか自覚し難い(人間の自己認知には限界がある)ことにある。この考え方を介護業界に適用するなら、介護職の虐待問題はまさに介護施設や介護職にとっての”適応課題”(もしくは、技術以上に適応を要する割合の高い課題)と言っていい。虐待問題を起こしてしまった介護職を擁護するつもりはないが、置かれていた環境やその利用者にうまく適応できなかったことが理由と考えれば、自分が同じ立場に立たされても絶対に虐待問題を起こさないと言い切れる介護職はそこまで多くはないはずである。介護職は専門職であるとの意識が強い故、(仕方がないことではあるが)介護職の虐待も”技術的な問題”として捉えがちである(表現の仕方は別にして、解決方法が明らかであるが如く≒専門性が身に付けば解決できると考えている)。私はここにこそ介護職の虐待問題が容易に解決されない、業界としての難しさが潜んでいるのではないかと考えている。

 

「虐待問題(負の感情)を職場内で相談しあえるような対話の場作りが重要」

私自身が過去に、転職を希望する介護職の何人かから、「今の介護施設で働き続けると、自分が虐待をしてしまいそうで怖い」と実際に直接相談を受けたことがある。虐待とは全く無縁な環境(そのような介護施設が多いこともまた事実である)で働いている介護職にとっては驚きかも知れないが、この問題で袋小路に陥って(精神的に追い込まれて)転職を考える介護職が一定数いることは事実である。また、私が参加する現場の介護職が集まる会合などにおいては、「利用者からのセクハラや暴言暴力に耐えらない、イライラして虐待してしまいそうになることは介護職なら誰しもにあるはず。しかしながら、そういった気持ちを上司に相談しても(他の介護職を例に出され)介護技術の未熟さを指摘されるだけ。下手をすると介護職に向いていないと批判される」と職場の実態を吐露して来る介護職もいる(似たような告白は多い)。これらの発言から、何を読み取るべきか。私は、介護現場における介護職の虐待問題があまりにタブー視され過ぎてしまっている(虐待行為を働いてしまうような介護職など絶対に存在してはならないとの考えで管理職が組織をマネジメントしている)ことや、そもそも介護職が介護現場でお互いの弱みを見せ合うことが難しい(負の感情を持つこと自体、専門職として相応しくないと受け止められてしまう)職場が増えて来ていることに、この問題の本質が見え隠れしているのではないかと捉えている。専門性の追求や専門職としての確立をコインの表とするなら、介護職員の虐待問題は、同時に付きまとう裏の問題と言っていいかも知れない。これらが”適応課題”である以上、それぞれの介護職の捉え方や導き出せる結果も必ずしも決まったものにはなり難いし(手段は別にしても、マニュアル通りの答えを導き出し難いのが対人支援業務の宿命と言っていいのではないか)、解決するにも時間を要することが多い(少なくともあなたは介護職に向いていないと指摘してすぐに解決するものではない)。人間の持つ自己認知にはどうしても差がある以上、やはり、それらの差を埋めるべく職場内での対話を積み重ね、その都度試行錯誤して行くことでしか、この問題を解決することは難しい。対話を避けてしまうような上司・部下、介護職同士の関係性であれば、自分にできることが当然相手にもできると思いがちであり、できなければ相手を責め立て易い(負の感情を持つ介護職にダメ出しすることは簡単であるが、どんな介護職も介護職である前に人間である。追い込まれている介護職が選ぶ行為のひとつに虐待がある)。逆に上司や同僚が対話の場を設けているのに、参加しようとしない(耳を傾けられない)介護職は、自分の考えに固執してしまい、職場内で孤立し易い(自己認知の限界から、自己正当化に陥り易い≒虐待に繋がることも)。なんだ、そんなレベルの話かと思われてしまうかも知れないが、介護施設職員の虐待問題を解決するためには、職場内で虐待問題を語り合い、自分が抱いた負の感情(介護職としての自分の弱み)さえ相談し合えるくらいの”対話”を積み重ねて行くことが大事である。経営の観点から言わせてもらえば、今の時代は”性善説”よりも”性弱説”が主流である(人間は生まれながらにして弱い生き物であることを再認識すべき)。介護施設の管理職が、積極的にそのような”対話の場”を仕組みとして作って行くことが、この問題に対する最も効果的な施策(解決策であり防止策)であると私は提言したい。それらは結果として介護サービスの質の向上にも繋がるはずである。

 

アルベルト・アインシュタインが言ったとされる名言には、介護施設職員の高齢者虐待問題と関連性の高いと思われるものが二つある(本当に言ったかは定かでないが、示唆に富んでいるので敢えて引用)。「問題が起きた時と同じレベルで考えていても、その問題を解決できない」。「狂気とは、同じことを繰り返しながら、違う結果を期待することだ」。もちろん専門教育(特に認知症高齢者に対する理解)が大事であることは言うまでもないし、対話をすれば全ての虐待がなくなる程、この問題は単純ではない。人の痛みを感じられない人間はどこの世界にも存在するし、そもそも組織的に虐待が根付いている(放置されている)職場は、対話を積み重ねても恐らくは改善されない。しかしながら、精神的に追い込まれている介護職が多い中、いくら専門性を身に付けろと言ったとしても、介護施設職員の虐待問題が解決されるとは到底思えない(それだけでは介護現場の虐待はきっとなくならない)。また、無資格未経験者に非を求めるような排他的論調も、この問題に関してだけ言えば残念で仕方がない。虐待問題についてだけ言えば、業界未経験者の方が感度が高いこともある(ただし、虐待問題が起きる遠因となっている可能性は否めない。現場介護職の教える負担が少しでも減るよう、無資格者には可能な限り就労前もしくは早い段階で初任者研修を受講しておくことをおススメしたい)。介護の仕事は、傍から見ている以上に難しいし、その分やりがいもある(実際に対面で事業を行う人材派遣・紹介会社だからわかることだが、仕事自体にはやりがいを感じている介護職がほとんどである)。私の介護職の友人たちも輝いている人が多い。この問題がうまく解決に向かい、マスコミにはもっと介護の仕事の魅力的な部分に光を当てて欲しい。今回も批判を多く受けそうな内容を綴ってしまったが、(そんな批判も含め)迷走しているように見える介護施設職員の虐待問題に何か新しい気付きが加わるなら幸いである。

2018/03/07

テーマ:介護職員 言葉遣い

意外と侮れない介護職員の言葉遣い問題

介護業界には、堅苦しい敬語や丁寧語などは使わずに、利用者のことを愛情を込めて爺ちゃん婆ちゃんと呼ぶ介護職が一定数いる(中には重鎮と呼ばれるような介護職でさえも)。そのような言動を見て、他の若い介護職が真似をしてしまう、そのような言葉遣いを止めさせるべきと批判的な考えを持つ介護職がこれまた一定数いる(映画自体の評価は別にして、「ケアニン」に登場する介護職の言葉遣いを陰で批判していた人もいたと聞く)。ネット上においても、高齢者に対する尊厳の観点からして絶対にあり得ない、赤ちゃん言葉やタメ語など以ての外といった意見から、時と場合による、多少なりとも崩した方が距離感は縮まるのではないかといった意見まで、兎にも角にも幅広い(もしくは狭くて深い)論争が繰り広げられている。中には介護職員の虐待は言葉遣いの乱れから始まるといったドキッとさせられるような内容も。こんな言い争いが起きるのは介護業界くらいだ(それ程レベルが低い)と自嘲的に語る介護職もいるようだが、私は全くそうは思わない。介護職同士の誹謗中傷含め、介護職員の言葉遣い問題に関わるこういったやり取りにこそ、介護業界が抱える問題であり、介護の仕事をマネジメントすることの難しさが浮き彫りになっているのではないかと感じている。

 

そもそも(言うまでもなく)言葉とは、相手とコミュニケーションを図る上においては、”手段”のひとつに過ぎないはずである。それにいくら敬語や丁寧語といった言葉遣いに気を付けたとしても、言語(バーバル)よりも、声の大きさや顔の表情といった非言語(ノンバーバル)の方が、コミュニケーションにおいて重要な役割を担っていることは、仕事の分野を問わず、介護業界でもよく耳にする話である(丁寧な敬語を使う慇懃無礼な人間は探せばいくらでもいる)。しかしながら、こと現場で働く介護職の評価となると、敬語がうまく使えない、もしくは馴れ合って言葉を崩すような(職業倫理的に見てレベルが低く見える)介護職は、この業界から去って欲しいといった(以前から述べている表面的な部分で人を判断するような)排他的思考が強く作用してしまう。常に利用者本人からの評価よりも、(本人評価が得難いことも理由のひとつではあるが)一緒に働く仲間や声の大きい介護職からの専門職としてのあるべき論の方が優先されてしまう傾向が強いのも介護の仕事の特徴でもある。恐らく答えは、その場にいる利用者と介護職の関係性からしか見つからない。厳しい口調の丁寧語で利用者とトラブルを起こしてしまう介護職もいれば、やさしいタメ語を使ってそこから物凄く深い(他の介護職には心を許してくれないレベルにまで)関係性を築いている介護職も実際にいる(この辺りの真実は、多くの介護現場に実際に足を運ぶ人材派遣・紹介会社でなければわからないことかも知れない)。介護職員の言葉遣いはあくまで周りから見える現象のひとつであり、それらが利用者との関係性にどう影響しているかどうかまでの本質(現象の反対語:誰にでも見えるものではない)を見極められてこそ本物の介護職(管理職)と言えるのではないだろうか。

 

批判的な考えを持つ介護職(管理職)の中には、言葉遣いから介護サービスの質が劣化して行く(放置すればいずれは虐待に繋がる恐れがある)といった強い危機感を持つ人も多いようである。言葉遣いが荒れてしまうと上から目線でものを言う介護職が現れる一因となり得ることから、そういった考えに至ることはもっともである。また、一定の距離を置くための丁寧な言葉遣いは、介護職にとって、自己抑制だけでなく(寄り添うからこその)自分の傷付き易い感情を守るために敢えて作り出す薄皮のようなもの(介護業界で長く働く秘訣である)などといった意見は、長い経験を積んだ介護職(管理職)ならではのものと唸らされる。ただ中には、マネジメント上の問題(管理者視点)と利用者に求められている介護サービスの質の問題(利用者視点)とをごちゃ混ぜに考えてしまっている管理職がいることも確かである。このような管理職に限って、それぞれの状況を把握しようともせず、頭ごなしに敬語や丁寧語を使わない介護職を徹底的に批判する傾向にある(時に同郷人同士の片言の方言のやり取りさえ)。繰り返しにはなるが、本来、管理職が見るべきは、(言葉遣い以上に)介護職と利用者との関係性のはずである。実例を踏まえて話をするなら、管理職の目の届き易い小規模の介護施設であれば、爺ちゃん婆ちゃんといった感じで多少言葉遣いを崩したとしても、介護職それぞれの言葉遣いが利用者との関係性にどう影響しているか把握し易い。関係性が崩れているように見えればすぐに修正も図れる。個別性にうまく対応出来ているからであろう、実際、評判の良い介護施設はこの規模に多かったりもする。目の行き届き難い中規模以上の介護施設においては、当然のことながら管理職がそれらの関係性の全てを把握することは難しい。そのような環境下で一定のサービス品質を保つためには、言葉遣いはやはり敬語や丁寧語に統一しておいた方がマネジメント上、無難である(地場の喫茶店と大手チェーンのレストランの従業員の言葉遣いを比べてみるとわかり易い)。もしも私が中規模以上の介護施設の管理職を任され、崩れた言葉遣いをする介護職が同じ職場にいたとするなら、(頭ごなしに叱るのではなく)「あなたの利用者との関係性を構築するコミュニケーション能力は評価するが、形だけ真似をする人が出て来ると困る、私が全職員と全利用者それぞれの関係性を把握し仕切れない以上、敬語か丁寧語を使って欲しい」と伝えるか、「私にはあなたと利用者の関係性を見抜く力がないので、敬語なり丁寧語を使ってもらえないか」と恐らくはお願いするであろう。

 

利用者にタメ語を使う介護職をありとするなら、ご家族が来た時はどうするのか、タメ語と敬語を使い分けるなんて絶対にあり得ないと介護業界の勉強会の場などで私に直接言って来る介護職(管理職)もいる。これはこれでもう少し柔軟な捉え方をした方がよいのではないかとアドバイスを送るようにしている。以前、ご高齢の某有名ファッションデザイナーが雑誌か何かのインタビューで、自身がICUに入院した際に看護師から受けた言葉遣いについて、「子どもをあやすような言葉遣いは(不安が紛れることもあり)嬉しく感じたが、家族が来た時くらいは最低限使い分けて(自分に敬語を使って)欲しい。見ている家族が困惑する」と(いった感じのことを)述べていた記事(ネットニュース)を目にしたことがある。非常に共感できる話であり、示唆に富んだ話でもある。近い話として(個人の体験談:全くの余談)、幼い頃よく通っていた床屋の店主が、自分のことを普段は「おい坊主」と呼んで来るのに、親と一緒に行った時に限って「坊ちゃん」とよそよそしく接して来たことを思い出す。絶対に敬語を使うべきといった介護職は、排他的思考が強く働いてしまい、心理学用語で言うところの認知的複雑性が低くなってしまっているのかも知れない。認知的複雑性の低い人は、どの次元も、自分の”好きー嫌い”や”常識ー非常識”といった単一的なものの見方に固執しがちであり、複雑さをそのまま受け入れることが苦手であると言われている。”目的”と”手段”を切り離して考えられる介護職であれば、”手段”(この場合は言葉遣い)に絶対がないことは理解できるのではないだろうか。そもそも関係性を築くコミュニケーションとは自分の働く職場だけを題材にして全てを語れるほどそんな単純なものでもない。これからは、敬語や丁寧語など全く使えない外国人介護職も自分の職場に増えてくる時代でもある。

 

回りくどくなってしまったが、(そうは言いながらも)私は決して利用者との距離感を縮めるためには多少なりとも言葉遣いを崩して構わない(そんな小さなところに拘るべきではない)といった考えを持っている訳ではない。ある程度の規模を持つ介護施設であり介護サービス事業者としては、介護の質を一定に保つ(ある程度の標準化を図る)ためには、介護職には敬語なり丁寧語を使わせるようにした方がマネジメント上、無難であることは間違いない。それに、多くの介護職が言う通り、(本当の気持ちは利用者本人にしかわからないが)敬語や丁寧語でも利用者との距離を縮めることは恐らく可能であろう。言葉遣いを注意されてしまう介護職は、周囲から気になるといった意見が出て来るのであれば、耳を傾け、自分の言葉遣いを見直してみることをお勧めしたい(職場内での余計な争いは極力控えたい。ここまで騒がれる以上、介護現場での言葉遣いは、対利用者以上に一緒に働く仲間へのマナーと言ってもいいかも知れない)。ただ、私は、(順番の問題にはなるが)何よりも先に、介護職は絶対に敬語や丁寧語を使うべきといった意見を耳にすると、介護業界は、ひとりひとりの利用者と向き合う個別性の高い仕事であることを忘れてしまっているのではないか(介護の仕事の本質を見失っているのではないか)と何かしらの違和感であり危機感を覚えるだけである。”VUCA”な介護業界、介護施設、介護の仕事である以上、たとえ介護職員の言葉遣いひとつを取り出してみたとしても、”絶対”という言葉は似つかわしくない。大事なのは、ただ単に職場にいるひとりの介護職員の言葉遣いに焦点を当てる(批判する)ことではなく、それらを複眼的に捉える(管理職としての自分の目だけでなく、その場にいる介護職員、その場にいない介護職員、利用者、その家族の目を持つ)ことで、背景にあるそれぞれの関係性を掴み、それらを起点にして施設全体として介護サービスの質の向上を図っていくことではないだろうか。介護職員の言葉遣いは意外とナイーブな問題につき、批判をたくさん受けそうであるが、、、これらの問題にこそ介護の仕事の難しさが現れているのではないか、管理職としての力量が問われているのではないか、と自分なりの意見を提唱して、今回のブログを締め括ることにする。

2018/01/12

テーマ:介護 仕事

”VUCA”な介護業界、介護施設、介護の仕事

2018年がスタートした。4月には介護報酬が改定されることから、今年も(終わる頃には)介護業界は激動の一年であったと言われるに違いない。今の時代が”VUCA”と称されて久しい。”VUCA”とは「Volatility(変動性)」、「Uncertainty(不確実性)」、「Complexity(複雑性)」、「Ambiguity(曖昧性)」の頭文字を取った造語であり、変化の激しさから先を見通すことが難しく、過去の正解が通用し難い経営環境を言い表すキーワードとして最近のビジネスシーンでは耳にすることが多い。恐らくは介護業界も多分に漏れない。限られた財源の中、介護業界はどのようにして日本の(いずれは世界の)労働市場で介護人材を確保・育成して行くべきか。また、そのような環境下、介護事業者はどのようにして経営の舵取りをして行くべきか。何かと規制が多く(行政に振り回される)、社会環境(介護サービスに対する期待値マネジメントの難しさや介護労働に対するネガティブニュースなど)からも影響を受け易い介護業界は、自らの力だけで望み通りの形を作り出すことは難しい。それに、労働集約型産業である以上、(ITやロボット化が進んで行くにしても)当面の間は、やはり事業のボトルネックは人材にあり続ける(その分、大きなブレークスルーも期待し難い)。厳しさが予測できる時点で”VUCA”ではないといった意見も聞こえて来そうだが、法改正などの外部要因によって突然視界不良に陥る(結果、売却、時に倒産してしまう)介護施設は多い。先を見通せないという意味では介護業界も同じである。

 

そもそもであるが、この”VUCA”という造語は、1990年代のアメリカで冷戦終結後の複雑化した国際情勢を意味する軍事用語として使われ始めた言葉である。2001年に始まったアルカイダとの(同時多発テロに対する)戦争においては、あまりに戦場前線での変化が激しく(=”VUCA”)、今までのヒエラルキー型、トップダウン型の組織(参謀本部が全ての情報を把握し作戦を練り、現場の戦闘部隊がそれらを忠実に実行する=意思決定から実施までに時間を要する)では全く通用しなくなってしまったと言う。そこでアメリカ軍は、ネットワーク型組織(トップの判断を待たずして、現場現場で判断し実行する=意思決定から実施までに時間を要さない)に方向転換することで、現場部隊がスピード感ある戦況に応じた戦いをすることが可能となり、結果、勝利することが出来たらしい。そんな逸話も手伝ってか(それらが今の経営環境における勝ちパターンに似ていることから)、”VUCA”という言葉が広く伝わり始めたようである。上層部の思惑(予定)通りには事が運ばない戦場を介護現場に置き換えてみても何ら違和感はない。戦争のように命が取られるようなことまではないにしても、現場(介護施設)で働く介護職は、利用者や人員体制の「Volatility(変動性)」、「Uncertainty(不確実性)」、「Complexity(複雑性)」、「Ambiguity(曖昧性)」な状況から起きる問題と常に対峙している。ここに介護保険制度の改定やご家族からの要望・クレームなどが加わって来るのだが、、、”VUCA"の由来や広まり始めた背景を知ると、これほど介護施設や介護の仕事を言い表している言葉も珍しいように思えて来る。

 

介護施設は”VUCA”な状況で介護職に仕事を与えている以上、常に過去の成功体験さえ疑ってかかる(それらを唯一の正解として扱わずに取り組んで行く)必要がある。マニュアルの整備や専門性を高める教育の重要性は言うに及ばないが、ひとつの答えだけを押し付けるようなトップダウン型のマネジメントでは介護施設で起きる問題の全てを解決することは難しい。たとえ同じ法人であったとしても、介護人材の”集まり易い地域”にある介護施設(≒競合の少ない平穏地)と”集まり難い地域”にある介護施設(≒競合の多い激戦地)とでは、たとえ起きている問題が似ていたとしても、同じ対処法で解決しようとしてもうまく行かないことが多い(複数ある施設の介護サービスの標準化が難しい理由のひとつでもある)。また、昨日の人員体制(パートナー)で出来た自分の介護が、今日の人員体制で同じように出来る(昨日の正解が今日の正解)とは限らない。それに介護業界著名人が(限られた介護施設経験の中で)発信し続ける”あるべき論”が、自分の介護施設にそのまま適用できるとも限らない。他から学ぼうとしない法人であり介護施設が最も問題であることは言うまでもないが、だからと言って、他を(あたかもそれだけが正解かのように)真似ればうまく行くと安易に考えてしまうのは組織運営上とても危険である。仕事をする環境が”VUCA”である以上、最適な答えは現場でしか見つからない。現場の介護職は易きに流れるといった批判は承知の上でにはなるが(それは介護職だからではなく人間の性である)、現場の介護職それぞれに答えを出させ続け、(たとえ期待を裏切られたとしても)それらを尊重し、改善を促し、少しずつでもその法人や介護施設の理念に近付けて行ってもらう。そのような対話を続けていくこと以外、継続的かつ実効的な組織運営は難しい。

 

「まずは目の前の利用者の介護をするのが専門職であり、社会人としても当たり前である。文句を言うのは当たり前のことが出来てからにして欲しい」。求人している介護施設関係者からよく耳にする言葉であるが、それらの発言の裏には、介護施設内の介護業務は認知症介護など難しさはあるにしても、所詮は建物の中、いつもほとんど同じ利用者を相手にする安定した仕事という経営者側であり管理者側の甘い捉え方が潜んでいるような気がしてならない。傍から見れば問題が起きて当たり前な環境下(=”VUCA”)で、自分たちにとって不都合な問題が起きれば介護職の資質に疑問を呈し、技術レベルの低さを嘆き、注意をすれば安易に退職を選ぶ介護職が悪いといった考えに縛られ続けている法人や介護施設は多い。自分たちが決めた型に押し込もうとするだけでは、介護現場で起きる問題の全てに対処して行くことは難しい。これではいくら採用(ホームページや求人広告)にお金を掛けたとしても、モチベーションの下がる介護職(退職者)が出て来ても何ら不思議はない。一見遠回りに見えるかも知れないが、”VUCA”な環境下においては、採用コストよりも、まずはそれらに対応すべく教育コスト(ネットワーク型組織に対応し得るリーダーシップやマネジメント研修、それぞれの介護職が力を発揮できるような対話型ワークショップ研修など)に重きを置くべきである。でなければ折角採用できた介護職も流出して行く一方である。厳しい経営環境にあったとしても改善の余地はまだまだたくさん残されている。”VUCA”な介護業界、”VUCA”な介護施設、”VUCA”な介護の仕事。今年一年、介護の正社員求人や派遣オーダーをいただく法人、介護施設関係者には、この言葉を積極的に口にして行こうと考えている。

2017/12/20

テーマ:介護職員 人間関係

介護の職場で人間関係が劣化する構造的な問題

介護業界(介護施設で働く介護職)の離職率が高いことの理由のひとつとして、人間関係の問題が取り沙汰されることは多い。ネット世界における介護職同士の誹謗中傷合戦もなかなかのものである。それではなぜに介護現場で働く職員同士の人間関係はそこまで悪くなってしまうのか。それらの理由については、これだけ騒がれていても、正直、腑に落ちるまでの意見に出会えることはそこまで多くはない。介護職に向いていない人がたくさん流入して来るため( ⇒ 折角の人材を育成し切れない介護業界の言い訳も含まれているのではないか)。待遇が悪く有能な人材が定着しないため( ⇒ あくまで一般論に過ぎない。待遇が悪くても介護業界には有能な人材がたくさんいることを世間が知らないだけではないか)。人材不足でコミュニケーションを取る余裕がないため( ⇒ リーマンショックで介護業界に人が溢れ返っていた当時も、退職理由のほとんどは人間関係であったことを我々は鮮明に記憶している)。もちろんそれらも理由のひとつにはなるのであろうが、近い職場は他の業種や仕事でもたくさんある。やはり介護の仕事ならではに起因する問題があると考えた方が、解決策は生み出し易いのではないだろうか。以下は我々が介護職に直接生の声を聞ける人材派遣・紹介会社の立場だからこそ感じる(介護業界ではあまり話題とならない)人間関係が劣化し易い構造的な問題である。今の時点で具体的な解決策がある訳ではないが、まずは問題が発生してしまう構造を理解するだけでも、改善に向けて少しは効果が出て来るのではないかと思われる。

 

構造的な問題①

外部環境志向派 vs 内部環境維持派

外部環境志向派には、介護職は時代や社会の要請に応じて、もっともっと自分たちの専門性であり能力をレベルアップさせて行かなければならないと思う介護職が多く、仕事に求める基準を外部であり社会に置いている。介護現場のネガティブな情報が流れることに対して、真正面から向き合い、介護職の魅力を発信し続けようとする人が多い。対する内部環境維持派には、今の介護職の人員体制、能力に応じて仕事をして行くべき、自分たちの精神衛生がうまく保てなければ良いサービスは提供できない(有給なども取りたい時に取りたい)と考える介護職が多く、あくまで仕事の基準を内部の戦力に置いている。もちろん介護の仕事は好きであるが、自分たちの限界を超えてまで利用者に付き添っていては身が持たない、もっと自分たちを大事にしながら介護の仕事をして行こうといった考えである。外部環境派にとって内部環境派は、介護職としての意識が低くどちらかと言うと自己中心的な介護職に映るようであり、内部環境派にとって外部環境派は、理想論を振りかざし現場に無理難題を強いる迷惑な介護職に映るようである。これらの対立は、経営学における営戦略論の歴史にポジショニング派(簡単に言えば、外部環境が最も大事。儲けを得るために、どんな市場でどんな立場を取るかを最優先に考える)とケイパビリティ派( 〃 、内部環境が最も大事。儲けを得るために、自社であり自社組織の強みを磨くことを最優先に考える)の二つの学派が存在し続けて来た構造と似てなくもない。どちらにも理がある分、どちらか一方だけを否定することは難しい。特に人材に不足感のある介護施設においては(たとえ人員基準を満たしていたとしても)、現場レベルで解決することはなかなか容易ではない。正解がないと言ってしまえばそれまでだが、どこの介護施設も、利用者本位のマニュアルはあったとしても、その日の戦力(人員)的に、どの利用者のどのケアまでなら多少なりとも妥協してよいなどといったマニュアルまでは存在しない。

 

構造的な問題②

専門性を追求するが故に陥り易い排他的思考

介護施設には、翌日のシフトもままならないほど人材不足な状況に置かれているところが多い。何とかして、たくさんの人材に介護の仕事に興味を持ってもらい、そして働いてもらいたいと思っている。しかしながら、現場で働く介護職員からすれば、介護職としての適性があり、やる気のある人材だけを職場に受け入れたいのが本音である。著名人などに、”介護は誰にでも出来る仕事である”などと言われてしまっては、専門職としての地位を確立するためにも、適性の感じられない介護職を排除したいと思う気持ちが強くなるのは当然のことである。ただし、介護職が専門性を追求して行けば行くほど、医者や看護師などと対等に意見し合える介護のスペシャリストと呼ばれるような存在に近付いて行く反面、やはりそれに近付けない(もしくは近付こうとしない)介護職に対しては「あなたみたいな人が働いているから”介護の仕事は誰にでも出来る仕事である”と思われてしまうのだ」と排他的な思考にも陥り易い。介護の仕事を選んだ理由が気に入らない、敬語がうまく使えない、要領が悪い、やる気が感じられないなどといっただけで、全否定されてしまう介護職を我々はたくさん見て来ている。致し方ないとは思いつつも、もう少し我慢して人材を育成、活用してみてはどうかと思うことは多い(特にやる気については、低い≒介護職として適性がないと見なされてしまうことが多い。やる気はその日の体調や出来事にも左右されるものであり、引き出すのも管理職としては本来腕の見せ所なはずなのだが)。社会全体が多様化しているにも拘わらず、介護業界は専門性を追求するがあまり、働く介護職それぞれの違いを受容し難くなっているのかも知れない。むしろ同質化を求めているようなきらいさえある。本来、介護職に求められている仕事の範囲はとても広いはずであり、経験は浅くても社会経験豊富な(スペシャリストの対極にある)ゼネラリストが活躍していても何らおかしくはない。そういった意味においては、介護の専門性という言葉には、それ自体に介護の仕事の難しさであり、矛盾が孕んでいると言えなくもない。ゼネラリストを使いこなせるスペシャリストが増えることを願うばかりである。

 

構造的な問題③

仕事を定量化する環境が整っていない

求人している介護施設の担当者から、忙しい時間帯に限って所在不明になる介護職員の存在を聞かされることは多い。目に見えて働かない職員がいる中、自分ばかりがこんなにやらされている(業務量が多い)と悲鳴を上げて転職相談に来る介護職もそれなりの数いる。もちろん批判の対象となる介護職員は、どこかの居室で利用者対応していたりするのであろうが、見えないばかりに仕事をサボっていたのではないか(その分、自分を含めた他の職員の業務負担が増しているのではないか)と疑われてしまうようである。逆に、これ以上のケアを追求してしまうと、あまり働いていない(影のリーダー的存在の)職員に目を付けられてしまうといった悩みを吐露して来る介護職もいる。古参の介護職員にとっては、働き過ぎる、もしくは細部にこだわる介護職が目障りな(自分たちに求められる仕事の水準が上がってしまう、もしくは全体の足を引っ張る)存在に映るであろうことは想像できるが、実態は定かでない。職員同士が疑心暗鬼に陥ることは、現場で働く全ての介護職員にとって精神衛生上良くはない。やはり実態を知る意味でも、(ひょっとしたら周りの思い過ごしの可能性も高いので)それぞれの業務量を可能な限り定量化して行くべきであり、そうした方が余計な混乱は招かないはずである。介護施設においてそれぞれの介護職員の業務量を測るとなると、どうしても量を捌く≒効率重視≒利用者軽視に繋がると思われがちであるが、そんなことよりも業務量を見える化することで公平感を導き出せる(業務量の多い人間と少ない人間を明確できる)ことの方が効果は大きい。ケアの内容が最も大事であることは言うまでもないが、それとは別に、それぞれの利用者に対するそれぞれの介護職のケアが、どの時間帯にどれだけの時間を要したのか計るなどして、統計を取り続けて行く。そうすれば、年月週日毎の平均値が導き出されることになり、指導材料としても有効となるはずである。IT化を進め(それぞれの介護職の介護業務をログに残すことで)定量化に取り組み始めている介護施設は既に出始めているが、諦めてしまっている介護施設がほとんどである。いずれこの辺りの取り組みの有無が、離職率の差となって現れて来るのではないかと思われる。

 

これらは構造的な問題であるが故に、短期間で解決することは難しい。介護施設側であり管理職側には、介護現場には人間関係が劣化し易い構造的な問題があることをまずは認識してもらいたい。人間関係が悪くなるのは、何も介護職員だけのせいとは限らない。それらを認識できるだけでも、人間関係の問題を、全て現場で働く介護職員(時に特定の個人)に押し付けるようなことはしなくなるはずである。介護職員をたくさん抱える介護施設が、何の取り組みもせず、全てを現場任せで放置しておけば、職場の人間関係は自ずと悪くなって行く可能性の方が高い。対話の場を仕組みとして構築して行く。コミュニケーション研修など共有知作りの場を提供して行く。そういった介護施設側、管理職側の地道な取り組みこそが、人間関係に起因する離職者を減らす第一歩に繋がるはずである。介護職も仕事を選ぶうえでは、求人広告にある”人間関係のよい施設です!”などといった求人介護施設側のアピール文をそのまま真に受けない方がいい。自分がその施設の人間関係に馴染めるかどうかはまた別の問題である。人間関係を理由に入退職を繰り返して来てしまった介護職は、人間関係の問題を現場任せにせず、地道な取り組みをしているかどうか(仕組みの部分)をしっかり確認してから転職することをおススメする。

2017/09/30

テーマ:介護 仕事

介護は誰にでも出来る仕事か

一年ほど前になるが、ホリエモンこと堀江貴文氏が「介護のような誰にでも出来る仕事は永久に給料は上がらない。いずれロボットに置き換わる」とツイッターでつぶやいた内容が介護業界に波紋を広げたことは関係者であれば記憶に新しい。堀江氏は介護業界の構造的な問題(介護報酬が保険制度によって決められている=給料がその枠組みを無視して上がって行くことは難しい)を指摘したに過ぎなかったようだが、実際に現場で働いている介護職からすれば、言い方の問題もあってかとても許せるものではなかったらしい。ソーシャルネットワーク上でのコメントの応酬を見る限り、 「作業として介護している職員もいるので一概に否定することは難しい」と冷静に受け止めている人は一部いたものの、大半の人は、「介護は誰にでも出来る仕事ではない」、「どれだけ大変な仕事かわかって言っているのか」、「だったらお前が認知症介護をやってみろ」とことのほか感情的に反応していたようである。あまり噛み合わないそれらのやり取りに、介護業界が抱えている問題のひとつを垣間見た気がしている。

 

「介護は誰にでも出来る仕事ではない」。弊社は介護業界で離職・転職の相談を受ける人材派遣・紹介会社である。介護の仕事が合わずに業界から離れて行く人も見て来ているだけに、実際そう感じることは多い。あまたの介護職がそう発信したい気持ちも痛いほど理解出来る。しかしながら、今の時点でも約200万の労働者を抱えている業界であり、専門性が必要とは言え、未経験者が就ける仕事でもあることも確かである(経験が浅くても活躍している人がそれなりの数いる) 。そのような業界にあって介護職自身が、「誰にでも出来る仕事ではない」と世間に発信したとしても、介護に関ったことのない人から見ればそれらは少し虚しく映るようである。隠さずに言えば、介護に関りの薄い人は、介護の仕事の大変さ(いわゆる3Kというマスコミに植え付けられたイメージ) は理解していても 、仕事の難しさまでは理解してくれていない(自立支援の概念を聞いて驚く人間は今でも私の周りにたくさんいる)。「誰にでも出来る仕事ではない」=「それだけ精神的にシンドい仕事なのだ」とその部分を特に強くアピールしてしまう介護職も一定数いることから、強く発言をすればするほど、「そんなにシンドイなら辞めればいいのに」、「他に就ける仕事がないから頑張っているだけでしょ」と軽く受け止められてしまっている印象である。

 

”世間から見た介護の仕事に対するネガティブなイメージ” VS ”介護の仕事の難しさやそれらの価値を世間にうまく訴求出来ない介護業界”。私は、ここにこそ、業界としての弱みがあり、成長して行く上でのヒントが隠されているのではないかと考えている。もちろん、介護業界が抱えている課題は他にもたくさんあるのだが、世間の持つネガティブなイメージや批判的な発信(最近は、介護施設の全てがブラック企業であるかのように吹聴するライター記事も散見される)に対して感情的に反応したり、業界内だけで文句を言い合っているだけでは、将来を担う、職の選択肢も多いであろう若い介護職の自尊心やプライドは育ち難い。まずは、介護業界や介護の仕事にネガティブな発信をして来る人に対して、実態を踏まえ、冷静にかつ自信を持って発信して行くことが大事である(たとえば以下のような感じで反論して行ってみてはいかがだろうか)。

 

「介護は誰もが就き易い仕事であるが、誰にでも適性がある訳ではない」

本人が”出来ている”と思っていても、周りからは"出来ていない”と思われている介護職は多い。恐らくは、介護現場で実際に仕事をしている意識の高い介護職であれば、ここを一番に伝えたいのではないかと思われる。人手が不足している業界にあっては、仕事に就き易いことは確かであるが、介護業界関係者以外から見れば、仕事に就けている=介護の仕事が”出来ている”と同じ括りにされてしまっているようである。決して言葉遊びをしているつもりはないのだが、こういった場面では、”出来る”、”出来ない”ではなく、”適性がある”、”ない”を使った方が外部の人には伝わり易い。いくらビジネスで成功しているような人でも、介護職としての”適性”については全くなさそうな(少なくとも自分はこの人から介護サービスを受けたいとは思えないような)人がいるのと似た理屈である。さりとて、これらの評価や判断のほとんどは(利用者本人からの評価が得難い、数値で表すことが難しい分)、介護サービスを提供する側の主観となることが多い。”適性の有無”を判断している人に”適性がある”とは限らない無限のループこそが、介護の仕事の難しさのひとつであり、それらを理解している管理職がそこまで多くないことが更に介護現場の問題を複雑化させている理由のひとつでもあるのだが、、、それらの話は別の機会に譲ることにする。

 

「介護の仕事は、ロボットと介護職が共存できる余地がたくさん残されている」

介護の仕事は(人が不足するなら)ロボットに任せておけばいいと思っている人は多い。恐らくは介護がそれだけ定型化された仕事(同じことの繰り返し=単純作業)だと思われているからであろう。確かに、実際の介護の現場においては、定型化された業務はいくらかは存在する。しかしながら、それらの前提として介護は、介護サービスを受ける側の人生であり(高齢者介護に限って言えば)余生をデザインする仕事であり、ロボットが最も苦手とされているクリエイティブな思考が求められる定型化することの難しい仕事でもある。ロボットが介護現場に増えて来れば、介護職は今まで以上に付加価値の高い介護サービスを提供できる可能性が高い。それに、ロボットや人工知能に置き換えられると言われている仕事は、他にもたくさんある。日本に存在する業務の5割強はロボットによって自動化できるといった調査結果(米マッキンゼー・アンド・カンパニー)もあるくらいである。置き換えられる仕事に、給料の高い低いは関係ない(むしろコスト的に高い人たちの方が効果が高い分、置き換えられ易いと言われている)。「介護は誰にでも出来る仕事である(自分たちの仕事の方が難しい)」とネガティブな意見に笑いながら共感してしまう人たちの仕事の方がまずはロボットに置き換えられてしまう可能性が高い。

 

介護業界が抱えている構造的な問題は、一朝一夕に解決することは難しい。しかしながら、現場で働く介護職が社会の文脈に沿って介護の仕事の価値を発信して行くことは可能である。我々は、介護職がプライドを持って働けるよう支援して行きたい。「介護は誰にでも出来る仕事である」といった心ない批判に負けて欲しくはない。ネガティブな発信や記事を目にする度に、たぎるような思いが募る今日この頃である。

    • 1