2018/12/31

テーマ:介護 仕事

親の死から考える介護の仕事の大変さ

今年もあと僅かで終わろうとしている。月日が経つのは本当に早い。介護業界には(来年実施に向けた)介護職の賃上げルール決定や外国人介護職に関係する改正入管法成立など今年もいろんな動きがあったが、個人的には高齢の母親が癌で他界したこともあり、自分の死生観が大きく揺らいだ一年であった。随分と前に父親の死(同じく癌)を経験していた分、僅かながらでも冷静に受け入れることができた気もするが、それに至る経緯含め、やはり身内の死は辛いものである。数ヶ月経った今でもいろんな思いが巡っている。

 

最近は、認知症高齢者や末期癌患者の死に関して、美談か醜聞どちらか極端な記事を目にすることが増えて来ている(記事になるくらいだから当然でもある)。しかしながら、やはりそれぞれの家族にはそれぞれの事情があり、一言では語り難いのが身内の死の実態であろう。私自身、(同居していた僅かな期間)母親の介護に携われたことや終末期にお世話になった自宅近くの医療・介護(病院だけでなく、訪問診療医や看護師、介護の仕事に携わる全ての)関係者の皆さんには感謝の気持ちで一杯である。とは言いつつも、人には言い難い、ちょっとした(治療に通っていた遠隔地にある別の)医療関係者とのトラブルや家族の事情により最期まで自分の家で看取ることが出来なかった後悔は、恐らくは暫くの間(もしくは一生)引き摺るに違いない。

 

「まさかこの年でこんなん(癌)なっちゃうとはね(どこか自分の死を受け入れられていない様子)」。「ホスピスには入りたくないわ(最期まで治療を諦めない)」。「もしもの時は全て子どもたちの判断に任せるの(最期まで自分がどう死にたいかまでは口にしない)」。親戚や友人が見舞いに訪れる度に母親が口にしていたせりふである。最期を意識(覚悟)できない親に、「最期くらい好きに生きろ」と言うのも酷である。記事でよく見かける末期癌患者の悟った(≒今の私が理想とする)死とは程遠く、本当にこのまま死なせてしまっていいのかと思えるような終末期。有料老人ホームやサービス付き高齢者専用住宅などでも看取りサービスを始めている今の時代、寄り添ってはいるものの轍から抜け出せない自分の無力さをただただ痛感するばかりであった。

 

人はみな慣れぬ齢を生きているユリカモメ飛ぶまるき曇天  永田 紅

 

生化学研究者でもある歌人の永田紅がさん詠った一首である。年齢的にひと括りにされてしまう高齢者も、実のところは、何十何歳になってもはじめて迎える年齢である。子どものために必死に働いて来た戦中戦後生まれの高齢者ほど、自分のために生きることに慣れていない。最期は好きに生きた方がいいと言われても、死生観が整わない中、どう生きていいかさえわからない(自分の親と似たような)人も多いのではないだろうか。関わる家族もきっと悩んでいる。介護現場が混乱しているそもそもの原因は、日本人一人ひとりの死生観が定まっていないことにあると言ったとしても恐らく否定することまでは難しい。板ばさみになりがちな(明確な答えがない中、振り回されるだけ振り回され、時に無茶なクレームを受けてしまう)介護の仕事に携わる関係者の大変さは計り知ることができない。親の死の話からで恐縮だが、介護職やその関係者に敬意を払うとともに、年末年始を介護の現場で迎える全ての関係者に思いを馳せ、今年のブログを締め括ることにする。

2018/01/12

テーマ:介護 仕事

”VUCA”な介護業界、介護施設、介護の仕事

2018年がスタートした。4月には介護報酬が改定されることから、今年も(終わる頃には)介護業界は激動の一年であったと言われるに違いない。今の時代が”VUCA”と称されて久しい。”VUCA”とは「Volatility(変動性)」、「Uncertainty(不確実性)」、「Complexity(複雑性)」、「Ambiguity(曖昧性)」の頭文字を取った造語であり、変化の激しさから先を見通すことが難しく、過去の正解が通用し難い経営環境を言い表すキーワードとして最近のビジネスシーンでは耳にすることが多い。恐らくは介護業界も多分に漏れない。限られた財源の中、介護業界はどのようにして日本の(いずれは世界の)労働市場で介護人材を確保・育成して行くべきか。また、そのような環境下、介護事業者はどのようにして経営の舵取りをして行くべきか。何かと規制が多く(行政に振り回される)、社会環境(介護サービスに対する期待値マネジメントの難しさや介護労働に対するネガティブニュースなど)からも影響を受け易い介護業界は、自らの力だけで望み通りの形を作り出すことは難しい。それに、労働集約型産業である以上、(ITやロボット化が進んで行くにしても)当面の間は、やはり事業のボトルネックは人材にあり続ける(その分、大きなブレークスルーも期待し難い)。厳しさが予測できる時点で”VUCA”ではないといった意見も聞こえて来そうだが、法改正などの外部要因によって突然視界不良に陥る(結果、売却、時に倒産してしまう)介護施設は多い。先を見通せないという意味では介護業界も同じである。

 

そもそもであるが、この”VUCA”という造語は、1990年代のアメリカで冷戦終結後の複雑化した国際情勢を意味する軍事用語として使われ始めた言葉である。2001年に始まったアルカイダとの(同時多発テロに対する)戦争においては、あまりに戦場前線での変化が激しく(=”VUCA”)、今までのヒエラルキー型、トップダウン型の組織(参謀本部が全ての情報を把握し作戦を練り、現場の戦闘部隊がそれらを忠実に実行する=意思決定から実施までに時間を要する)では全く通用しなくなってしまったと言う。そこでアメリカ軍は、ネットワーク型組織(トップの判断を待たずして、現場現場で判断し実行する=意思決定から実施までに時間を要さない)に方向転換することで、現場部隊がスピード感ある戦況に応じた戦いをすることが可能となり、結果、勝利することが出来たらしい。そんな逸話も手伝ってか(それらが今の経営環境における勝ちパターンに似ていることから)、”VUCA”という言葉が広く伝わり始めたようである。上層部の思惑(予定)通りには事が運ばない戦場を介護現場に置き換えてみても何ら違和感はない。戦争のように命が取られるようなことまではないにしても、現場(介護施設)で働く介護職は、利用者や人員体制の「Volatility(変動性)」、「Uncertainty(不確実性)」、「Complexity(複雑性)」、「Ambiguity(曖昧性)」な状況から起きる問題と常に対峙している。ここに介護保険制度の改定やご家族からの要望・クレームなどが加わって来るのだが、、、”VUCA"の由来や広まり始めた背景を知ると、これほど介護施設や介護の仕事を言い表している言葉も珍しいように思えて来る。

 

介護施設は”VUCA”な状況で介護職に仕事を与えている以上、常に過去の成功体験さえ疑ってかかる(それらを唯一の正解として扱わずに取り組んで行く)必要がある。マニュアルの整備や専門性を高める教育の重要性は言うに及ばないが、ひとつの答えだけを押し付けるようなトップダウン型のマネジメントでは介護施設で起きる問題の全てを解決することは難しい。たとえ同じ法人であったとしても、介護人材の”集まり易い地域”にある介護施設(≒競合の少ない平穏地)と”集まり難い地域”にある介護施設(≒競合の多い激戦地)とでは、たとえ起きている問題が似ていたとしても、同じ対処法で解決しようとしてもうまく行かないことが多い(複数ある施設の介護サービスの標準化が難しい理由のひとつでもある)。また、昨日の人員体制(パートナー)で出来た自分の介護が、今日の人員体制で同じように出来る(昨日の正解が今日の正解)とは限らない。それに介護業界著名人が(限られた介護施設経験の中で)発信し続ける”あるべき論”が、自分の介護施設にそのまま適用できるとも限らない。他から学ぼうとしない法人であり介護施設が最も問題であることは言うまでもないが、だからと言って、他を(あたかもそれだけが正解かのように)真似ればうまく行くと安易に考えてしまうのは組織運営上とても危険である。仕事をする環境が”VUCA”である以上、最適な答えは現場でしか見つからない。現場の介護職は易きに流れるといった批判は承知の上でにはなるが(それは介護職だからではなく人間の性である)、現場の介護職それぞれに答えを出させ続け、(たとえ期待を裏切られたとしても)それらを尊重し、改善を促し、少しずつでもその法人や介護施設の理念に近付けて行ってもらう。そのような対話を続けていくこと以外、継続的かつ実効的な組織運営は難しい。

 

「まずは目の前の利用者の介護をするのが専門職であり、社会人としても当たり前である。文句を言うのは当たり前のことが出来てからにして欲しい」。求人している介護施設関係者からよく耳にする言葉であるが、それらの発言の裏には、介護施設内の介護業務は認知症介護など難しさはあるにしても、所詮は建物の中、いつもほとんど同じ利用者を相手にする安定した仕事という経営者側であり管理者側の甘い捉え方が潜んでいるような気がしてならない。傍から見れば問題が起きて当たり前な環境下(=”VUCA”)で、自分たちにとって不都合な問題が起きれば介護職の資質に疑問を呈し、技術レベルの低さを嘆き、注意をすれば安易に退職を選ぶ介護職が悪いといった考えに縛られ続けている法人や介護施設は多い。自分たちが決めた型に押し込もうとするだけでは、介護現場で起きる問題の全てに対処して行くことは難しい。これではいくら採用(ホームページや求人広告)にお金を掛けたとしても、モチベーションの下がる介護職(退職者)が出て来ても何ら不思議はない。一見遠回りに見えるかも知れないが、”VUCA”な環境下においては、採用コストよりも、まずはそれらに対応すべく教育コスト(ネットワーク型組織に対応し得るリーダーシップやマネジメント研修、それぞれの介護職が力を発揮できるような対話型ワークショップ研修など)に重きを置くべきである。でなければ折角採用できた介護職も流出して行く一方である。厳しい経営環境にあったとしても改善の余地はまだまだたくさん残されている。”VUCA”な介護業界、”VUCA”な介護施設、”VUCA”な介護の仕事。今年一年、介護の正社員求人や派遣オーダーをいただく法人、介護施設関係者には、この言葉を積極的に口にして行こうと考えている。

2017/09/30

テーマ:介護 仕事

介護は誰にでも出来る仕事か

一年ほど前になるが、ホリエモンこと堀江貴文氏が「介護のような誰にでも出来る仕事は永久に給料は上がらない。いずれロボットに置き換わる」とツイッターでつぶやいた内容が介護業界に波紋を広げたことは関係者であれば記憶に新しい。堀江氏は介護業界の構造的な問題(介護報酬が保険制度によって決められている=給料がその枠組みを無視して上がって行くことは難しい)を指摘したに過ぎなかったようだが、実際に現場で働いている介護職からすれば、言い方の問題もあってかとても許せるものではなかったらしい。ソーシャルネットワーク上でのコメントの応酬を見る限り、 「作業として介護している職員もいるので一概に否定することは難しい」と冷静に受け止めている人は一部いたものの、大半の人は、「介護は誰にでも出来る仕事ではない」、「どれだけ大変な仕事かわかって言っているのか」、「だったらお前が認知症介護をやってみろ」とことのほか感情的に反応していたようである。あまり噛み合わないそれらのやり取りに、介護業界が抱えている問題のひとつを垣間見た気がしている。

 

「介護は誰にでも出来る仕事ではない」。弊社は介護業界で離職・転職の相談を受ける人材派遣・紹介会社である。介護の仕事が合わずに業界から離れて行く人もたくさん見て来ているだけに、実際そう感じることは多い。あまたの介護職がそう発信したい気持ちも痛いほど理解出来る。しかしながら、今の時点でも約200万の労働者を抱えている業界であり、専門性が必要とは言え、未経験者が就ける仕事でもあることも確かである(経験が浅くても活躍している人がそれなりの数いる) 。そのような業界にあって介護職自身が、「誰にでも出来る仕事ではない」と世間に発信したとしても、介護に関ったことのない人から見ればそれらは少し虚しく映るようである。隠さずに言えば、介護に関りの薄い人は、介護の仕事の大変さ(いわゆる3Kというマスコミに植え付けられたイメージ) は理解していても 、仕事の難しさまでは理解してくれていない(自立支援の概念を聞いて驚く人間は今でも私の周りにたくさんいる)。「誰にでも出来る仕事ではない」=「それだけ精神的にシンドい仕事なのだ」とその部分を特に強くアピールしてしまう介護職も一定数いることから、強く発言をすればするほど、「そんなにシンドイなら辞めればいいのに」、「他に就ける仕事がないから頑張っているだけでしょ」と軽く受け止められてしまっている印象である。

 

”世間から見た介護の仕事に対するネガティブなイメージ” VS ”介護の仕事の難しさやそれらの価値を世間にうまく訴求出来ない介護業界”。私は、ここにこそ、業界としての弱みがあり、成長して行く上でのヒントが隠されているのではないかと考えている。もちろん、介護業界が抱えている課題は他にもたくさんあるのだが、世間の持つネガティブなイメージや批判的な発信(最近は、介護施設の全てがブラック企業であるかのように吹聴するライターの記事も散見される)に対して感情的に反応したり、業界内だけで文句を言い合っているだけでは、将来を担う、職の選択肢も多いであろう若い介護職の自尊心やプライドは育ち難い。まずは、介護業界や介護の仕事にネガティブな発信をして来る人に対して、実態を踏まえ、冷静にかつ自信を持って発信して行くことが大事なのではないだろうか(たとえば以下のような感じで)。

 

「介護は誰もが就き易い仕事であるが、誰にでも適性がある訳ではない」

本人が”出来ている”と思っていても、周りからは"出来ていない”と思われている介護職は多い。恐らくは、介護現場で実際に仕事をしている意識の高い介護職であれば、ここを一番に伝えたいのではないかと思われる。人手が不足している(常に求人広告を出し続けている施設や事業所の多い)介護業界にあっては、仕事に就き易いことは確かであるが、業界関係者以外から見れば、仕事に就けている=介護の仕事が”出来ている”と同じ括りにされてしまっているようである。決して言葉遊びをしているつもりはないのだが、こういった場面では、”出来る”、”出来ない”ではなく、”適性がある”、”適性がない”を使った方が外部の人には伝わり易い。いくらビジネスで成功しているような人でも、介護職としての”適性”については全くなさそうな(少なくとも自分はこの人から介護サービスを受けたいとは思えないような)人がいるのと似た理屈である。さりとて、これらの評価や判断のほとんどは(利用者本人からの評価が得難く、数値で表すことも難しい分)、介護サービスを提供する側の主観となることが多い。”適性の有無”を判断している人に”適性がある”とは限らない無限のループこそが、介護の仕事の難しさのひとつであり、それらを理解している管理職がそこまで多くないことが更に介護現場の問題を複雑化させている理由のひとつでもあるのだが、、、それらの話は別の機会に譲ることにする。

 

「介護は自分自身と向き合う強さが求められる仕事である」

医療や看護のように既に専門性が確立されている仕事は、一応のところは答えがある(もしくは絞られて来る)以上、教育の難易度がいくら高かったとしても客観的な評価指標は作り易い。それらの(介護の仕事と比べた場合の)最大の効用であり効果と言えば、仕事に携わる人間の能力だけでなく、適性の有無さえも判断しやすいところにあるのではないだろうか。介護の仕事はそうは行かない。試験の難易度は医療や看護ほど高くなかったとしても、現場で起きる全ての事象に対する捉え方そのものがとても難しい。それらは人それぞれの生き方と似ていて哲学的でもある(この辺りの難しさが外部の人には伝わり難い)。答えがあるようで答えがない(言葉遣いひとつとっても正解主義者や前例主義者に介護の仕事の適性があるとは思えない)。とは言え、答えが全くないかと言えば、そうではなく、答えに近付く手段はある(どうせ正解がないからと勉強を怠る人間に介護の仕事の適性があるとは思えない)。事象を追いかけるだけの(本質にまではたどり着こうと努力しない)介護の仕事なら堀江氏の言うように恐らくは誰にでもできるのであろうし、それだけで自分に適性があると慢心してしまう介護職は、正解主義(答えは常に決まっている、正解に至らないのは自分以外の何かが間違っているとの考え方≒排他的思考)に陥りやすい。有能と言われる介護職ほど、介護の仕事の専門性とはそもそも何なのかを問い続け、自分の持つ価値観や評価軸(時に自分の適性)さえも疑う強さがある。これらは誰にでも出来ることではない(ここではじめて強調)。認知症を持つ利用者の介護など、必ずしも自分の思うようにならない(そんな時こそ成長できると捉える)のが対人支援に関わる専門職の宿命と言っていい。介護の仕事は専門性より人間性と言う人が多い所以である。介護は自分自身(時に弱さ)と向き合う強さがなければ、長く続けて行くことの難しい仕事である。

 

「介護はロボットと介護職が共存できる余地がたくさん残されている仕事である」

介護の仕事は(人が不足するなら)ロボットに任せておけばいいと思っている人は多い。恐らくは介護がそれだけ定型化された仕事(同じことの繰り返し=単純作業)だと思われているからであろう。確かに、実際の介護の現場においては、定型化された業務はいくらかは存在する。しかしながら、それらの前提として介護は、介護サービスを受ける側の人生であり、(高齢者介護に限って言えば)余生をデザインする仕事であり、ロボットが最も苦手とされているクリエイティブな思考が求められる(定型化することの難しい)仕事でもある。ここにやりがいを感じている介護職はとても多い。しかしながら、今の人員構成上、なかなかそこまで手が回らないのが実態である。ロボットが介護現場に増えて来れば、介護職は今まで以上に付加価値の高い介護サービスを提供できる可能性が高い。それに、ロボットや人工知能に置き換えられると言われている仕事は、他にもたくさんある。日本に存在する業務の5割強はロボットによって自動化できるといった調査結果(米マッキンゼー・アンド・カンパニー)もあるくらいである。置き換えられる仕事に、給料の高い低いは関係ない。むしろコスト的に高い人たちの方が効果が高い分、置き換えられ易いと言われている。「介護は誰にでも出来る仕事である(自分たちの仕事の方が難しい)」とネガティブな意見に笑いながら共感してしまう人たちの仕事の方がまずはロボットに置き換えられてしまう可能性が高い。

 

介護業界が抱えている構造的な問題は、一朝一夕に解決することは難しい。しかしながら、現場で働く介護職が社会の文脈に沿って介護の仕事の価値を発信して行くことは可能である。我々は、介護職がプライドを持って働けるよう支援して行きたい。「介護は誰にでも出来る仕事である」といった心ない批判に負けて欲しくはない。ネガティブな発信や記事を目にする度に、たぎるような思いが募る今日この頃である。

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