2017/12/20

テーマ:介護職員 人間関係

介護の職場で人間関係が劣化する構造的な問題

介護業界(介護施設で働く介護職)の離職率が高いことの理由のひとつとして、人間関係の問題が取り沙汰されることは多い。ネット世界における介護職同士の誹謗中傷合戦もなかなかのものである。それではなぜに介護現場で働く職員同士の人間関係はそこまで悪くなってしまうのか。それらの理由については、これだけ騒がれていても、正直、腑に落ちるまでの意見に出会えることはそこまで多くはない。介護職に向いていない人がたくさん流入して来るため( ⇒ 折角の人材を育成し切れない介護業界の言い訳も含まれているのではないか)。待遇が悪く有能な人材が定着しないため( ⇒ あくまで一般論に過ぎない。待遇が悪くても介護業界には有能な人材がたくさんいることを世間が知らないだけではないか)。人材不足でコミュニケーションを取る余裕がないため( ⇒ リーマンショックで介護業界に人が溢れ返っていた当時も、退職理由のほとんどは人間関係であったことを我々は鮮明に記憶している)。もちろんそれらも理由のひとつにはなるのであろうが、近い職場は他の業種や仕事でもたくさんある。やはり介護の仕事ならではに起因する問題があると考えた方が、解決策は生み出し易いのではないだろうか。以下は我々が介護職に直接生の声を聞ける人材派遣・紹介会社の立場だからこそ感じる(介護業界ではあまり話題とならない)人間関係が劣化し易い構造的な問題である。今の時点で具体的な解決策がある訳ではないが、まずは問題が発生してしまう構造を理解するだけでも、改善に向けて少しは効果が出て来るのではないかと思われる。

 

構造的な問題①

外部環境志向派 vs 内部環境維持派

外部環境志向派には、介護職は時代や社会の要請に応じて、もっともっと自分たちの専門性であり能力をレベルアップさせて行かなければならないと思う介護職が多く、仕事に求める基準を外部であり社会に置いている。介護現場のネガティブな情報が流れることに対して、真正面から向き合い、介護職の魅力を発信し続けようとする人が多い。対する内部環境維持派には、今の介護職の人員体制、能力に応じて仕事をして行くべき、自分たちの精神衛生がうまく保てなければ良いサービスは提供できない(有給なども取りたい時に取りたい)と考える介護職が多く、あくまで仕事の基準を内部の戦力に置いている。もちろん介護の仕事は好きであるが、自分たちの限界を超えてまで利用者に付き添っていては身が持たない、もっと自分たちを大事にしながら介護の仕事をして行こうといった考えである。外部環境派にとって内部環境派は、介護職としての意識が低くどちらかと言うと自己中心的な介護職に映るようであり、内部環境派にとって外部環境派は、理想論を振りかざし現場に無理難題を強いる迷惑な介護職に映るようである。これらの対立は、経営学における営戦略論の歴史にポジショニング派(簡単に言えば、外部環境が最も大事。儲けを得るために、どんな市場でどんな立場を取るかを最優先に考える)とケイパビリティ派( 〃 、内部環境が最も大事。儲けを得るために、自社であり自社組織の強みを磨くことを最優先に考える)の二つの学派が存在し続けて来た構造と似てなくもない。どちらにも理がある分、どちらか一方だけを否定することは難しい。特に人材に不足感のある介護施設においては(たとえ人員基準を満たしていたとしても)、現場レベルで解決することはなかなか容易ではない。正解がないと言ってしまえばそれまでだが、どこの介護施設も、利用者本位のマニュアルはあったとしても、その日の戦力(人員)的に、どの利用者のどのケアまでなら多少なりとも妥協してよいなどといったマニュアルまでは存在しない。

 

構造的な問題②

専門性を追求するが故に陥り易い排他的思考

介護施設には、翌日のシフトもままならないほど人材不足な状況に置かれているところが多い。何とかして、たくさんの人材に介護の仕事に興味を持ってもらい、そして働いてもらいたいと思っている。しかしながら、現場で働く介護職員からすれば、介護職としての適性があり、やる気のある人材だけを職場に受け入れたいのが本音である。著名人などに、”介護は誰にでも出来る仕事である”などと言われてしまっては、専門職としての地位を確立するためにも、適性の感じられない介護職を排除したいと思う気持ちが強くなるのは当然のことである。ただし、介護職が専門性を追求して行けば行くほど、医者や看護師などと対等に意見し合える介護のスペシャリストと呼ばれるような存在に近付いて行く反面、やはりそれに近付けない(もしくは近付こうとしない)介護職に対しては「あなたみたいな人が働いているから”介護の仕事は誰にでも出来る仕事である”と思われてしまうのだ」と排他的な思考にも陥り易い。介護の仕事を選んだ理由が気に入らない、敬語がうまく使えない、要領が悪い、やる気が感じられないなどといっただけで、全否定されてしまう介護職を我々はたくさん見て来ている。致し方ないとは思いつつも、もう少し我慢して人材を育成、活用してみてはどうかと思うことは多い(特にやる気については、低い≒介護職として適性がないと見なされてしまうことが多い。やる気はその日の体調や出来事にも左右されるものであり、引き出すのも管理職としては本来腕の見せ所なはずなのだが)。社会全体が多様化しているにも拘わらず、介護業界は専門性を追求するがあまり、働く介護職それぞれの違いを受容し難くなっているのかも知れない。むしろ同質化を求めているようなきらいさえある。本来、介護職に求められている仕事の範囲はとても広いはずであり、経験は浅くても社会経験豊富な(スペシャリストの対極にある)ゼネラリストが活躍していても何らおかしくはない。そういった意味においては、介護の専門性という言葉には、それ自体に介護の仕事の難しさであり、矛盾が孕んでいると言えなくもない。ゼネラリストを使いこなせるスペシャリストが増えることを願うばかりである。

 

構造的な問題③

仕事を定量化する環境が整っていない

求人している介護施設の担当者から、忙しい時間帯に限って所在不明になる介護職員の存在を聞かされることは多い。目に見えて働かない職員がいる中、自分ばかりがこんなにやらされている(業務量が多い)と悲鳴を上げて転職相談に来る介護職もそれなりの数いる。もちろん批判の対象となる介護職員は、どこかの居室で利用者対応していたりするのであろうが、見えないばかりに仕事をサボっていたのではないか(その分、自分を含めた他の職員の業務負担が増しているのではないか)と疑われてしまうようである。逆に、これ以上のケアを追求してしまうと、あまり働いていない(影のリーダー的存在の)職員に目を付けられてしまうといった悩みを吐露して来る介護職もいる。古参の介護職員にとっては、働き過ぎる、もしくは細部にこだわる介護職が目障りな(自分たちに求められる仕事の水準が上がってしまう、もしくは全体の足を引っ張る)存在に映るであろうことは想像できるが、実態は定かでない。職員同士が疑心暗鬼に陥ることは、現場で働く全ての介護職員にとって精神衛生上良くはない。やはり実態を知る意味でも、(ひょっとしたら周りの思い過ごしの可能性も高いので)それぞれの業務量を可能な限り定量化して行くべきであり、そうした方が余計な混乱は招かないはずである。介護施設においてそれぞれの介護職員の業務量を測るとなると、どうしても量を捌く≒効率重視≒利用者軽視に繋がると思われがちであるが、そんなことよりも業務量を見える化することで公平感を導き出せる(業務量の多い人間と少ない人間を明確できる)ことの方が効果は大きい。ケアの内容が最も大事であることは言うまでもないが、それとは別に、それぞれの利用者に対するそれぞれの介護職のケアが、どの時間帯にどれだけの時間を要したのか計るなどして、統計を取り続けて行く。そうすれば、年月週日毎の平均値が導き出されることになり、指導材料としても有効となるはずである。IT化を進め(それぞれの介護職の介護業務をログに残すことで)定量化に取り組み始めている介護施設は既に出始めているが、諦めてしまっている介護施設がほとんどである。いずれこの辺りの取り組みの有無が、離職率の差となって現れて来るのではないかと思われる。

 

これらは構造的な問題であるが故に、短期間で解決することは難しい。介護施設側であり管理職側には、介護現場には人間関係が劣化し易い構造的な問題があることをまずは認識してもらいたい。人間関係が悪くなるのは、何も介護職員だけのせいとは限らない。それらを認識できるだけでも、人間関係の問題を、全て現場で働く介護職員(時に特定の個人)に押し付けるようなことはしなくなるはずである。介護職員をたくさん抱える介護施設が、何の取り組みもせず、全てを現場任せで放置しておけば、職場の人間関係は自ずと悪くなって行く可能性の方が高い。対話の場を仕組みとして構築して行く。コミュニケーション研修など共有知作りの場を提供して行く。そういった介護施設側、管理職側の地道な取り組みこそが、人間関係に起因する離職者を減らす第一歩に繋がるはずである。介護職も仕事を選ぶうえでは、求人広告にある”人間関係のよい施設です!”などといった求人介護施設側のアピール文をそのまま真に受けない方がいい。自分がその施設の人間関係に馴染めるかどうかはまた別の問題である。人間関係を理由に入退職を繰り返して来てしまった介護職は、人間関係の問題を現場任せにせず、地道な取り組みをしているかどうか(仕組みの部分)をしっかり確認してから転職することをおススメする。