2018/05/30

テーマ:介護職員 虐待

介護職員が起こしてしまう虐待問題の解決策

介護の仕事を語るうえで、非常にナイーブでありながらも、絶対に避けることのできない問題がある。それが介護施設職員の高齢者虐待問題である。この問題(事件)が起きてマスコミが騒ぎ出すと、(問題が起きてしまった以上、仕方がないことではあるが)どうしても世間の耳目は介護の仕事の大変な部分にだけ集まり易い。問題(事件)が起きる度に、仕事そのものに対するイメージが悪くなって行く傾向にある。介護福祉士養成校が軒並み定員割れを起こしていることや、福祉系大学の卒業生でさえ進路先として介護福祉施設を選ばなくなって来ている現実は、それらの証左と言えるであろう(もちろんそれだけが理由ではないはずだが)。その流れを断ち切ろうと、発信力のある介護職は、あくまで虐待を起こす介護職はあくまで一部であることを強調する。介護業界がそれだけ人材難である(介護の仕事に向かない人間も採用せざるを得ないほど、業界としての採用ハードルが低い)ことを嘆き、その分、専門職としての教育の重要さを強く説く。介護業界を取り仕切る厚生労働省はと言えば、虐待のあった介護施設のある市町村からの報告(任意・自由記載)を定期的に集計することで、「教育・知識・介護技術等に関する問題」が最大の発生要因(66.9%=289件/回答総数432件:平成28年度高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律に基づく対応状況等に関する調査結果)であることを明らかにする。他に「職員のストレスや感情コントロールの問題(24.1%)」、「倫理観や理念の欠如(12.5%)」、「職員の性格や資質の問題(12.0%)」と続く。それらを再びマスコミが取り上げて、介護の仕事のイメージが、、、、と悪いスパイラルが永遠と続く訳だが、いずれにしても、介護業界全体として、介護施設職員が起こしてしまう虐待問題は、一部の問題職員(資質のない職員は入り口の段階で可能な限り排除すべき)や教育の不十分さ(ストレスコントロールを含めた専門性を高める教育こそ重要:特に認知症ケア)に原因があると受け止めているようである。一部の問題社員は別にして(事件と呼べるようなものは業種を問わない社会問題である)、果たして専門性を高める教育に徹底的に力を注げば、この悪いスパイラルから本当に抜け出すことが出来るのであろうか。私はそうは思わない。もちろん、身体拘束など、世間が常識と思う範囲内のことは少しずつでも改善されて行くであろうが、この問題の本質的な解決にまでは至らないと考えている。

 

「虐待に関わった介護職の3割近くは介護福祉士という不都合な真実」

同じ厚生労働省の調査結果によれば、虐待に関わってしまった介護職うち、3割近くは介護福祉士資格を持っていたらしい(28.9%=121人/総数419人)。介護の専門家や教育関係者はこの現実をどう受け止めているのか。公表されている内容を見る限り(私が確認できる範囲にはなるが)、介護施設職員が起こす虐待問題は、やはり専門教育の足りなさや、それらの浸透を妨げている無資格者や未経験者の存在(採用ハードルの低さ)に原因があるとした受け止め方が大半のようである(少々苦しい気もするが、虐待に関わった介護職の7割以上が介護福祉士資格を持っていなかったことの方に重きを置いているような論調も)。介護業界は専門性の確立を喫緊の課題としている為、既に専門性を確立している医療や看護業界、もしくは業界としての今ある成功事例から学ぼうとする意識が強い。それらは、普通に考えれば当然の流れであるし、専門職である以上、問題が起きれば全て専門教育に原因があるとする考え方は全く間違っていない(恐らくは外部からの理解も得られ易い)。しかしながら、現実は現実である。虐待に関わった介護職の3割近くが介護福祉士であった以上、やはり一部の問題職員や専門教育の足りなさに原因があるとするだけでは、介護職員の虐待問題が解決に向かわないことを介護業界全体として受け止め始める時期に来ているのではないだろうか。いや、もっとシビアな捉え方をするなら、この問題に真正面から対峙するには、今の介護現場のマネジメント層の観点(すなわち今まで介護職が受けて来た専門教育)には、大事な何かが抜け落ちていると言ってもいいのかも知れない。介護現場においては、職務遂行上、常に具体的な答え(専門知識や介護技術)を求められるからこそ、抽象的思考や俯瞰的視点が奪われ易い。B=f(P,E),は、社会心理学の父と呼ばれるクルト・レヴィンの場の理論の公式であるが、これに介護職員の虐待問題を当て嵌めてみると、もう少しこの問題を大局的に捉えることが出来るはずである。B=Behavior ”行動”、f=function ”関数”、P=Personality ”人間性、倫理観、性格”、E=Environment ”周囲の状況、人間関係、組織風土”。介護職が起こしてしまう虐待(B)も、介護職(P)と人間関係を含めた職場環境(E)との相互作用の結果に過ぎないと捉えた方が、恐らくはこの問題の真因に近付き易い。要は介護職の一人ひとり(P)に原因を求めているだけでは、この問題は解決に向かわない。

 

「人手に不足感のある介護施設では、介護職の誰しもが虐待の当事者になり得る」

ここで伝えたいのは、制度上において人員基準を満たしているかどうかといった話ではなく、実際に現場で働く介護職員たちが人手に不足感を感じているかどうかである(同じ施設の介護職員であったとしても、経験による違いはもちろんのこと、勤務するフロアやシフトの時間帯によっても感じ方は全く異なる)。介護施設で働く介護職は、複数の利用者に対し、常に利用者本意の介護サービスを心掛け(≒受動的:ある意味、利用者に振り回されることを良しとし)ながらも、業務時間内に可能な限りしかも平等にサービスを提供して次のシフトに引き継ぐ(≒能動的:自分に与えられた仕事はうまくコントロールして必ず遂行する)という素人目に見てもなかなか厳しいジレンマな状況に置かれている。そのような状況においては、”受動”と”能動”のうまいバランスを取れる(受動的でありながらも能動的、もしくは能動的でありながらも受動的な)介護職が評価される訳だが、人手に不足感のある職場は、どうしても能動的な考え方(≒コントロール欲)が強まる傾向にある。特に人員体制が薄くなる夜勤帯の勤務などは、何人かの利用者をコントロールしてでも全利用者に対して時間内にサービスを提供しなければならないというプレッシャーに駆られ易い(思うように介助できない認知症高齢者に対しては時に感情が爆発してしまうことも)。衣服の着脱が乱暴である。汚れたシーツをすぐに替えない。(頻繁に鳴る)呼び出しコールを無視する。全ての介助のテンポが速い(介護職本位)。本来、どれも虐待に種別されてしまう行為であるが、人手に不足感のある介護施設はどこもグレーゾーンと呼べるような(≒不適切なケア:虐待の芽と呼ぶ人もいる)範囲内、もしくはギリギリその一歩手前で何とか業務を回しているのが実態である。これらは、人手を増やせば必ずしも解決に向かう問題でもない。人手をいくらか増やしたところで、一人の介護職が複数の利用者に介護サービスを提供する環境に変わりはない。介護施設における人手の不足感は、同僚との連携や周りからの支援があってはじめて和らいで行くものである。こうした背景を理解しようとせず、管理職が頭ごなしに不適切なケアについて言及したとしても(もしくは専門家の方々がもっと専門性を身に付けろと指導したとしても)、恐らく事態は改善に向かわない。昼夜を問わず人手と時間に制約のある環境下においては、まずは業界として介護職の誰しもが虐待の当事者になり得る(だからこそ介護職同士支援し合うことが大事である)ことを徹底的に教育すべきではないだろうか。他の専門職に例えるなら、いくら他を圧倒するくらい運転技術力のあるドライバーであったとしても、無理な環境下で働けば(助手席に誰もいない状態で長時間、高速度で運転し続ければ)事故を起こしてしまうのと似た理屈である。実は、虐待の発生要因の第5位になってはじめて「人員不足や人員配置の問題及び関連する多忙さ」(8.8%=38件/432件:同調査結果)が上がって来るのだが、数の少なさからしてここに焦点が行くことはあまりない。どこの介護施設も似たような人員体制である(人員に不足感があったとしても人員基準を満たしている)以上、それらを理由にした虐待などあり得ない(厚生労働省や自治体に対してそのような報告は介護サービス事業者として怠慢に映る)といった(今流行りの)忖度に似た思いがこの数字の背景にあろうことは想像に難くない。

 

「介護職員が起こす虐待問題は、適応を要する課題」

”技術的問題 (technical problem)”と”適応課題 (adaptive challenge)”という考え方を提唱したハーバード・ケネディスクールのロバート・ハイフェッツ教授は、その著書「最難関のリーダーシップ」で次のように述べている。「彼ら(大統領をはじめとした学校の卒業生)との素晴らしい経験を通じて私が信じていることは、あふれるほどの時間、技術、経験を投じても、なお私たちが解決できずにいる問題のほとんどは、”技術的問題”ではなく”適応課題”だということ。そして、私がこれまでのキャリアを通じて見て来た彼らの失敗の最大の原因は、向き合っている問題が”適応課題”であるにもかかわらず、それを”技術的問題”として扱ってしまうことだ」。解説を加えると、ほとんどの問題はどちらかに分類できるが、割合は問題によって様々である(100%技術的な問題もあれば、30%が技術的な問題で70%は適応を要する課題であることも)。”技術的問題”とは、解決方法が明確であり、技術を持つ専門家に任せれば大よそ解決できる問題である。身近な例を上げれば、車や水道の修理がそれに当たり、最大の特徴は、他の似た解決策が、そのまま適用できる点にある。”適応課題”とは、技術や経験、専門性だけでは解決することが難しく、当の本人が変化に適応して行かなければ解決に向かわない課題である。例を上げれば、夫婦関係や子育て、扱いの難しい部下のマネジメント業務などがある(育児書やビジネス書など教科書通りにやればうまく行くものではない)。最大の特徴は、当事者間で対話を重ねながら時に自分の価値観を疑い(今までの自分の考え方や捉え方を変えてみたり)、試行錯誤を繰り返すことで時に自分の(仕事の)やり方を変えてみる(一部を手放してみる)ことでしか解決に至らない点にある。そのため、時間も掛かるし、成果も決まったものにはなり難い。この課題解決が容易でない理由は、他(の人)の解決方法がうまく当て嵌まらないことが多いだけでなく、そもそも当の本人やその関係者が問題(が起きるシステム)の一部になっていることをなかなか自覚し難い(人間の自己認知には限界がある)ことにある。この考え方を介護業界に適用するなら、介護職の虐待問題はまさに介護施設や介護職にとっての”適応課題”(もしくは、技術以上に適応を要する割合の高い課題)と言っていい。虐待問題を起こしてしまった介護職を擁護するつもりはないが、置かれていた環境やその利用者にうまく適応できなかったことが理由と考えれば、自分が同じ立場に立たされても絶対に虐待問題を起こさないと言い切れる介護職はそこまで多くはないはずである。介護職は専門職であるとの意識が強い故、(仕方がないことではあるが)介護職の虐待も”技術的な問題”として捉えがちである(表現の仕方は別にして、解決方法が明らかであるが如く≒専門性が身に付けば解決できると考えている)。私はここにこそ介護職の虐待問題が容易に解決されない、業界としての難しさが潜んでいるのではないかと考えている。

 

「虐待問題(負の感情)を職場内で相談しあえるような対話の場作りが重要」

私自身が過去に、転職を希望する介護職の何人かから、「今の介護施設で働き続けると、自分が虐待をしてしまいそうで怖い」と実際に直接相談を受けたことがある。虐待とは全く無縁な環境(そのような介護施設が多いこともまた事実である)で働いている介護職にとっては驚きかも知れないが、この問題で袋小路に陥って(精神的に追い込まれて)転職を考える介護職が一定数いることは事実である。また、私が参加する現場の介護職が集まる会合などにおいては、「利用者からのセクハラや暴言暴力に耐えらない、イライラして虐待してしまいそうになることは介護職なら誰しもにあるはず。しかしながら、そういった気持ちを上司に相談しても(他の介護職を例に出され)介護技術の未熟さを指摘されるだけ。下手をすると介護職に向いていないと批判される」と職場の実態を吐露して来る介護職もいる(似たような告白は多い)。これらの発言から、何を読み取るべきか。私は、介護現場における介護職の虐待問題があまりにタブー視され過ぎてしまっている(虐待行為を働いてしまうような介護職など絶対に存在してはならないとの考えで管理職が組織をマネジメントしている)ことや、そもそも介護職が介護現場でお互いの弱みを見せ合うことが難しい(負の感情を持つこと自体、専門職として相応しくないと受け止められてしまう)職場が増えて来ていることに、この問題の本質が見え隠れしているのではないかと捉えている。専門性の追求や専門職としての確立をコインの表とするなら、介護職員の虐待問題は、同時に付きまとう裏の問題と言っていいかも知れない。これらが”適応課題”である以上、それぞれの介護職の捉え方や導き出せる結果も必ずしも決まったものにはなり難いし(手段は別にしても、マニュアル通りの答えを導き出し難いのが対人支援業務の宿命と言っていいのではないか)、解決するにも時間を要することが多い(少なくともあなたは介護職に向いていないと指摘してすぐに解決するものではない)。人間の持つ自己認知にはどうしても差がある以上、やはり、それらの差を埋めるべく職場内での対話を積み重ね、その都度試行錯誤して行くことでしか、この問題を解決することは難しい。対話を避けてしまうような上司・部下、介護職同士の関係性であれば、自分にできることが当然相手にもできると思いがちであり、できなければ相手を責め立て易い(負の感情を持つ介護職にダメ出しすることは簡単であるが、どんな介護職も介護職である前に人間である。追い込まれている介護職が選ぶ行為のひとつに虐待がある)。逆に上司や同僚が対話の場を設けているのに、参加しようとしない(耳を傾けられない)介護職は、自分の考えに固執してしまい、職場内で孤立し易い(自己認知の限界から、自己正当化に陥り易い≒虐待に繋がることも)。なんだ、そんなレベルの話かと思われてしまうかも知れないが、介護施設職員の虐待問題を解決するためには、職場内で虐待問題を語り合い、自分が抱いた負の感情(介護職としての自分の弱み)さえ相談し合えるくらいの”対話”を積み重ねて行くことが大事である。経営の観点から言わせてもらえば、今の時代は”性善説”よりも”性弱説”が主流である(人間は生まれながらにして弱い生き物であることを再認識すべき)。介護施設の管理職が、積極的にそのような”対話の場”を仕組みとして作って行くことが、この問題に対する最も効果的な施策(解決策であり防止策)であると私は提言したい。それらは結果として介護サービスの質の向上にも繋がるはずである。

 

アルベルト・アインシュタインが言ったとされる名言には、介護施設職員の高齢者虐待問題と関連性の高いと思われるものが二つある(本当に言ったかは定かでないが、示唆に富んでいるので敢えて引用)。「問題が起きた時と同じレベルで考えていても、その問題を解決できない」。「狂気とは、同じことを繰り返しながら、違う結果を期待することだ」。もちろん専門教育(特に認知症高齢者に対する理解)が大事であることは言うまでもないし、対話をすれば全ての虐待がなくなる程、この問題は単純ではない。人の痛みを感じられない人間はどこの世界にも存在するし、そもそも組織的に虐待が根付いている(放置されている)職場は、対話を積み重ねても恐らくは改善されない。しかしながら、精神的に追い込まれている介護職が多い中、いくら専門性を身に付けろと言ったとしても、介護施設職員の虐待問題が解決されるとは到底思えない(それだけでは介護現場の虐待はきっとなくならない)。また、無資格未経験者に非を求めるような排他的論調も、この問題に関してだけ言えば残念で仕方がない。虐待問題についてだけ言えば、業界未経験者の方が感度が高いこともある(ただし、虐待問題が起きる遠因となっている可能性は否めない。現場介護職の教える負担が少しでも減るよう、無資格者には可能な限り就労前もしくは早い段階で初任者研修を受講しておくことをおススメしたい)。介護の仕事は、傍から見ている以上に難しいし、その分やりがいもある(実際に対面で事業を行う人材派遣・紹介会社だからわかることだが、仕事自体にはやりがいを感じている介護職がほとんどである)。私の介護職の友人たちも輝いている人が多い。この問題がうまく解決に向かい、マスコミにはもっと介護の仕事の魅力的な部分に光を当てて欲しい。今回も批判を多く受けそうな内容を綴ってしまったが、(そんな批判も含め)迷走しているように見える介護施設職員の虐待問題に何か新しい気付きが加わるなら幸いである。